大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和63年(オ)852号 判決 1992年3月03日

上告人

大坪德美

上告人

大坪嘉子

右両名訴訟代理人弁護士

前野宗俊

吉野高幸

高木健康

住田定夫

配川寿好

下東信三

江越和信

荒牧啓一

前田憲徳

年森俊宏

被上告人

北九州市

右代表者市長

末吉興一

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人前野宗俊の上告理由第一点及び第二点について

原審の適法に確定した事実関係によれば、被上告人の施行した本件溜池の堤塘工事は、臨時石炭鉱害復旧法に基づく復旧工事であり、鉱害が復旧されたことによって目的を達成し、その構造上に欠陥もなく、被上告人が同種工事を継続又は反復することは予定されていない、というのである。

右の事実関係の下において、被上告人が本件溜池を本件工事終了後も事実上管理しているものとは認められないとし、したがって、本件溜池で発生した本件事故につき、被上告人は、国家賠償法二条一項の規定する賠償責任を負うものではないとした原審の判断は、正当として是認することができる。所論引用の判例は、所論の趣旨を判示したものではなく、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

その余の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官園部逸夫 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官佐藤庄市郎 裁判官可部恒雄)

上告代理人前野宗俊の上告理由

目次<省略>

序論 本件事実の概要

一、事実

(一) 本件溜池は、その南東側が蜑住団地に、南西側が市道蜑住有毛一号線に接しているところ、右団地との間には金網フェンスがあるが、道路との間には三八メートルにわたって何らの防護柵もなく、特に団地側は堤塘と道路との間にほとんど段差もなかった。

堤塘の方は幅二メートルないし2.2メートルの平坦な地形を経て、水面に向かって二五度の急角度で水面上・水面下それぞれ一一個のブロックを積み重ねた斜面となっており、深さ二メートルにまで至っているため幼児が一旦溜池に滑り込むと容易にはい上がることの出来ない形状になっていて、溺死の危険を内包していた。

また、右道路は亡栄などの幼児の通園路に当たっており、日常的に認識の対象となって幼児等の水遊びを誘発することは明白であった。

右のように、本件溜池の堤塘斜面は幼児が水面に滑り込み溺死する危険がある状況であり、堤塘斜面にも歩行可能な幼児であれば容易に侵入でき、かつ、幼児の侵入を誘発する要因を十分にそなえたものであった。

(二) 亡栄は、本件事故に際し、右開口部付近の道路上に自転車を放置して、本件溜池の堤塘内に侵入し、右平坦な部分を約四〇メートル進んだ後、右コンクリートブロック堤塘の中程にある越流部の上に靴を脱ぎ捨てて、右堤塘付近から本件溜池内に入り、本件事故に遭遇したものである。

(三) 右の事故状況から推認すると亡栄はごく自然に自転車遊びから水遊びに転じたものと判断できる。靴をきちんと脱いで池に入っていることからして、水面下の危険性を全く感じることなく普通の水溜まりでの水遊びと子供心に感じていたと思われる。

(四) なお、本件溜池の堤塘は、被上告人によって、昭和五四年から五五年三月にかけて築造されたもので、前記開口部は右工事によって作出されたものである。

二、本件の争点

(一) 本件溜池の瑕疵

溜池や河川は、もともと溺死等の危険性を内包しており、その危険性は、原則として管理者ないし利用者側の責任において回避すべきものである。

本件溜池の場合、その南東側が蜑住団地であり、南西側が市道で幼児の通園路に当たっていたのであるから、前記堤塘斜面の形状からして幼児の侵入防止等の防護柵の設定が道路と堤塘間にないことは本件溜池の瑕疵というべきである。

原判決も、本件溜池に右のごとき瑕疵があることを否定していると思われない。

ところが、原判決は、本件工事前と工事後のため池の危険性を比較し、工事前の状況については、「本件道路と本件溜池との間には、約三八メートルにわたってガードレール等の防護柵のない部分があり、右付近の道路と堤塘との段差は、三〇ないし五〇センチメートルに過ぎず、しかも、堤塘の上部には雑草が生えているのみであったことから、五、六歳の幼児でも堤塘内に入り込める状況にあったこと、また、当時、堤塘内は整地されておらず、雑草が生い茂り、起伏が不規則で、しかも、急勾配の上の斜面が溜池に向かって続いていたことから、堤塘内に一旦入り込むと、溜池に転落する危険性は極めて高かった」と認定する一方、本件工事後については、「本件道路と本件溜池との間に、防護柵の設置がなく、かん木も雑草も植わっていない幅一〇メートル前後の開口部が生じたこと、右開口部での道路と堤塘との段差は最大限四〇センチメートル未満であり、堤塘上には、右開口部付近から道路に沿って、北方に長さ約七〇メートル、幅二メートル以上の平坦な部分があること、右平坦部分から溜池に向かって二五度前後の勾配の斜面があり、右斜面の北寄り部分は、長さ約三九メートルに及ぶコンクリートブロックを積み重ねた堤塘となっている」と認定したうえ、「確かに、本件工事の結果、前記開口部が生じ、本件道路から本件溜池の堤塘内への進入を容易にしたことは明らかであるが、しかし、本件工事により堤塘上が整備された結果、仮に、堤塘内に進入したとしても、前記平坦部分にとどまる限り、何らの危険性もなくなったのであるから、本件工事の結果、本件溜池の危険性を増大させたとまでは認められない。」と判示したのであった。

本件で問われている危険は溺死の危険である。社会的、心理的存在である人間に対する危険判断であるべきなのに、原判決は物理的形状のみ判断した。この瑕疵の危険判断は如何になされるべきかが、一つの重大な争点である。

(二) 責任原因

被上告人の責任原因としては、事実上の管理者としての国賠法上の責任および右瑕疵の作出者としての民法上の責任がいずれも問われているが、原判決はこれを否定している。

第一点 本件瑕疵の判断についての法令違反

一、最高裁昭和五六年七月一六日判決の基底となる法理

(一) 最高裁は、「(原審の認定した)事実関係のもとにおいて、小学校敷地内にある本件プールとその南側に隣接して存在する児童公園との間はプールの周囲に設置されている金網フェンスで隔てられているにすぎないが、右フェンスは幼児でも容易に乗り越えることができるような構造であり、他方、児童公園で遊ぶ幼児にとって本件プールは一個の誘惑的存在であることは容易に看取しうるところであって、当時三歳七ケ月の幼児であったAがこれを乗り越えて本件プール内に立ち入ったことがその設置管理者である上告人の予測を越えた行動であったとすることはできず、結局、本件プールには営造物として通常有すべき安全性に欠けるものがあったとして上告人の国家賠償法二条に基づく国家賠償責任を認めた原審の判断は正当として肯認することができる。」としたのである。(最判昭五六・七・一六判時一〇三〇、判例評論二七八・二三)

(二) 国賠法二条にいう営造物責任について、従来の伝統的考え方(最三小昭五三・七・四判決判時九〇四号五二頁、最三小昭五三・一二・二二判決判時九一六号二四頁、最判一小昭五五年・七・一七判決判時九八二号一一八頁)によれば、営造物の通常備えるべき安全性の確保には、凡そ想像しうるあらゆる危険の発生に備えてこれを防止しうる設備を整えることまで必要とするものではなく、当該営造物の構造・用途・場所的環境および利用状況などの諸般の具体的事情から考えて、通常予想される危険を防止するために必要な安全設備があればよいというものである。

そして、溜め池に似た河川の場合ではあるが、下山教授は、「河川は、周辺住民に対しての治水措置が主な問題点となり、その懈怠が大きな被害をもたらすという状況にあるため、営造物の構造上の「瑕疵」そのものだけでなく、周囲の状況との関係で「瑕疵」の有無を判断せねばならぬケースが必然的に多くなる。敷衍すれば、周辺住民に対する被害発生防止措置の懈怠が問題にされる事案が多いということができる。そこで判例もまた、「瑕疵」の有無の判断方法として総合的判断の手法を採択する傾向になってくるものといえよう」(「現代行政法体系」6国家補償一四二頁)と述べ、「河川はそれ自体本来的に危険性を内蔵していることを考えると、河川の危険性といっても、人工によって添加された危険性(義務の懈怠を含む)でなければならない。判例の請求の認容された事案は、その人工的危険性の添加が認められたものであり、その場合に、違法・過失などの要素は必要としない。否定した事案は、その人工的危険性の添加の否定された事案である。」(「国家補償法」二二八頁)という。

二、原判決の誤り

原判決は、序論、二、(一)本件溜池の瑕疵のところで引用しているとおり、右最高裁判決のような、具体的な人間に対する総合的な危険判断の論法をとらず、様々な条件ないし留保のうえ導き出された問題ある結論であった。即ち、

① 工事前五、六才の幼児でも堤塘内に入り込める状況にあったという前提の有無である。

この前提を仮に百歩譲って、物理的に入り込める状況にあったとしても、五、六才の幼児の心理上に入り込める状況にあったかが更に問われなければならない。五、六才の幼児の心理上「遊び」以外の特別の目的がない限り入り込みの誘因がなければ、五、六才の幼児にとっては全く危険性のないものである。

② 本件工事後の危険性については、「平坦部分にとどまる限り、何らの危険性もなくなった」と限定づける。

しかし、ここでの危険性は「水死」の危険性であり、滑り込みの危険性がない平坦部分に限定して危険性を判断することはそもそも根拠のない恣意的なものといわざるを得ない。

しかも、本件での危険性はあくまで五、六才の幼児に対する危険性であることを基底に置く限り、水際まで平坦となって容易に進入できるようになった場合と雑草等がはえていて困難であった場合の物理的条件に次に述べる幼児の心理的条件を踏まえれば危険性は明らかに増加したというべきである。

三、最高裁判決の論理に従った本件溜池の瑕疵

(一) 五、六才の幼児と本件溜池の遊び場としての誘因性

水遊びは、子供の大好きな遊びの一つである。子供は水に非常に興味をもっているので、大人がいくら注意しても、目を盗んで水遊びをするものである。水の事故が起きたときは、死亡につながる場合が多いため、それだけに、事故が発生する前に充分な対策をたてておくことが必要である。昭和四七年厚生省の調査によると、一〜四才児の事故死の内訳の発生割合によると、溺死が35.5%、自動車事故が三八・%となっており、「水」のおそろしさが指摘されているとおりである。

遊び場は子どものためにある。だから、子どもは遊びが可能な場所であれば、どこでも彼らの遊び場にしてしまうし、逆に、彼らが、遊び場として魅力がないと思ったら、そこでの遊びはなされないか、仮になされたとしても、その遊びは長続きしない。子供がどんな遊び場を描くかといえば、

① 動きに関するもの……まず、乗り物が実に多くあげられた。ジェットコースターやメリーゴーランドといった本当に乗ったことのあるものばかりでなく、飛行機やロケットなど、空想的願望的なものもあげられる。これらがスリルや冒険心を満たしたいという欲求かどうかはともかく、乗って楽しみたいという希望が強いことがうかがわれる。

② 広さに関するもの……サッカー場、野球など子どもたちは広々とした場所を数多くあげている。これらは思いきり走ったり、投げたり、跳んだりしたい欲求を反映している。

③ 創造的なもの……迷い道、ほら穴等は現在の遊び場等にもみられるが、むかしの国とかコマの国などのような想像的な遊び場をのぞんでいる。

④ 遊びの材料的なもの……屋内遊び、一人遊び、集団遊びに関する遊びの材料を多く兼ねそなえたもの。

⑤ 動物……いろいろな動物があげられているが、これらは遊びの中で見て楽しんだり、愛玩したりしたいという要求を反映していると思われる。しかも、これは人形ではなくて本物を望んでいる。

⑥ 水に関するもの……現在、遊び場の中に水の設備は少ない。そこで池や小川をつくり、中に魚を飼うこともできる。子どもたちが、日常水を十分に使って遊ぶチャンスがなく、ともかく水に接したいということであろう。

(二) 本件工事による誘因性の添加

本件溜池は、本件工事後、水に接することができ、広場もあり、ほら穴的なものもある格好の遊び場になったのである。

本件工事前には、仮に侵入可能であるとしても子供が溜池を遊び場にしていた事実は全くないのである。

危険性を子供に関連づけて判断する限り、その誘因性として危険性が増大したことは明らかである。

四、小結

以上のとおり、原判決は国家賠償法二条にいう、瑕疵の判断を誤った法令違反があり破棄されるべきである。

第二点 国賠法二条一項の「管理」についての法令違反

一、最高裁昭和五九年一一月二九日判決の法理と原判決

国賠法二条一項の公の営造物の設置・管理は、国又は公共団体が事実上これをなす状態にあれば足り、必ずしも権限に基づくことを要しない(最判昭五九・一一・二九民集三八―一一―一二六〇)にも拘らず、原判決は「継続性」あるいは「反復性」の制限的要素を加え法令解釈ないし右判例に違反した結論を導いている。

二、被上告人の「事実上の管理」態様

(一) 本件事故発生場所は、両側を池に挾まれたその上部に市道のある堤防である。

それ故に、市道の管理は、その上部分だけに限定されることなく市道を支える堤体を含むものである。本件工事の内訳は、堤体工事、底樋工事、斜樋工事、腰石積工事の市道下の市所有部分と一体となった工事でありすべて被上告人のみの設計、仕様に基づくもので、溜池所有者および利用者の意思は全く反映されていない。

本件工事を被上告人が鉱害復旧の申出を含めて実施した法的根拠としては地方自治法二条三項二号しかなく、そうである以上被上告人が事実上管理していたことは疑いない。

また、右工事以前にも旧若松市時代に、若松市によって堤体工事が反復してなされてもいる(久保証言一七ないし二五項、六七、六八項)し、蜑住団地の造成の際には若松市によって護岸工事が実施されている(同二六ないし三一項)。

(二) 若松区内の「市有」溜池の実務的管理権限は被上告人経済局若松農政事務所が有するところ(内山証言一〇三項)同事務所は、民有市有を問わず地元住民から水漏れ等の連絡があれば現地に調査に入り、昭和五五年七月には、同じく民有市有を問わず一〇七箇所に「あぶない、この池で遊んではいけません。北九州市」との被上告人所有の標識を被上告人の費用で設置したのである。

本件溜池にも、右標識は所有者や水利権者の同意、承諾、話し合い等一切ないまま被上告人によって設置されたもので、同人が市有溜池と同様に本件溜池を管理していることを示すものである。

また、本件PCフェンスも、本件事故を契機として地元の要望に基づいて(内山証言一〇九ないし一一二項)設置されたもので、溜池に対する子供などの侵入を防止し、安全を図ることを目的としたことは疑いない。

(三) 本件溜池の登記上の所有名義は山崎次郎外二名であるが、実質的には地域住民の共有であり、蜑住農事組合一、二組二九名が水利権をもっているといわれているが、では現実に一体誰がどんな管理をしているかは、被上告人によっても全く立証されておらず、被上告人以外の事実上の管理者は証拠上は存在しないのである。

(四) 原判決は、管理行為の要件として「継続性」あるいは「反復性」をあげているが、上告人は管理行為の内容として本件工事だけを主張しているのではなく、合わせて日常の反復、継続した看視行為をも主張しているのであり、被上告人側証人も認めている右事実を原判決は故意に看過している。

三、小結

以上のとおり、原判決には、国賠法二条一項の「管理」解釈に制限的要件を加えて解釈した法令違反の誤りがあり、かつ右制限的要件が認められるとしても、それを充たす事実があるにも拘らず、採証法則に違背しそれを看過した違法があるので破棄を免れないものである。

第三点、第四点<省略>

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